Trivial Journal
自分が商品だからね
取り柄はなかったが根拠のない自信はあった
まったくの未経験でコンピュータ業界に足をつっこんだため、すべてのことが一からの勉強だった。つまり社内の誰よりも仕事ができない状態なわけだ。おまけに学歴は高卒(大学中退だからある意味、高卒より条件は良くない)、資格なし、技術なしで誇れるものはなにひとつない。せっかくまともな職についたのだし、もう後がなかったので、コンピュータに関する勉強は真面目に取り組むことにした。コンピュータに対する知識は全然なかったが、幸いなことに興味はあった。勉強も嫌いじゃなかったので、まあ、なんとかなるだろうという根拠のない自信もあった。
どう勉強したかは別の機会に書くとして、結論としてなんとかなった。コンピュータは自分の性(しょう)に合っていた。知らないことをすぐ質問するくらいの社交性は持ち合わせていたし、パソコンのカタログを読んでわからないことをわからないと認識できるくらいの読解力もあった。自宅(妹のマンションだけど)でもたくさん本を買って勉強していたので、それなりの成長はあった。さらに自分でパソコンをセットアップするようになってからは飛躍的に理解が高まった。
コンピュータはものすごく高価だった
今でこそ10万円も出せば表計算ソフト付きのパソコンが買えるが、当時は今ほどコンピュータが安い時代ではない。富士通のパソコンFM R-50HDの本体価格が62万円だ。これにディスプレイ15万円、キーボード3万円、プリンター20万円を組み合わせていくと100万円近くなる(本体以外の価格はうろ覚え)。たとえ社員価格で買っても70万円くらいにはなるので、入社したての中途採用がおいそれと買えるようなシロモノではない。それどころか、会社にだって共用のワープロ専用機があるだけで、トウの立った新人が勉強できるようなパソコンなんかない。自分で商談を見つけ、お客さんに販売するコンピュータをセットアップすることで、ようやくパソコンに触る機会が得られるような時代だった。
そんな環境ではあったが、コンピュータの勉強に手応えが出てくるまでにそれほど時間はかからなかったと思う。OASYS(オアシス)というワープロやEPOCALCという表計算ソフトを使うくらいは数か月でできるようになっていたはずだ。営業職に向いているかどうかはわからないが、自分でもコンピュータには向いているなと思った。その時に考えたことはこうだ。
ラッキーなことにどうやら自分はコンピュータに向いているらしい。しかし、大学の同級生はもう社会に出てもう5年もたっている。高卒で働いてる人は10年近いキャリアがある。今や現場で一人前に働いている人がほとんどだろう。かたや自分はようやく正職について、一から出直したばかりだ。少しばかりコンピュータに向いていたところで、ここを辞めてしまえば元の黙阿弥。もうやり直しの時間はない。だったらコンピュータを一生の仕事にしてやろう。
営業に向いてると思ったことは一度もない
同時に営業職に対する適性についても考えた。今でも自分が営業職に適性があるとは思っていないが、その時はもっと自分の営業スタイルに悩んでいた。クセのある性格なので敵味方がはっきり分かれるし、できれば知らない人とは会わずに済ませたいほうで、実はそんなに社交的なわけでもない。当時の言葉ならネクラ、今でいえば陰キャの典型である。知らない企業に飛び込んでグイグイ行くような営業力もない、場を和ませるような柔和な性格でもない、容姿は十人いれば九人に「第一印象は悪かった」と言われるような風体だ(あと金がなくて着た切り雀だったしな)。もう営業としての資質などほとんどない。しょうがないので、こう考えた。
「俺はコンピュータのことで知らないことがないようになろう。何を訊かれても答えられるようになろう」
それが学歴もない、資格もない、技術もない自分の商品価値だと思った。何もない割に、というか、何もないからこそ考えた結論だった。
よそでも生きていける自分を育てろ
一般論として同意してもらえると思うのだが、自分の商品価値を高く持っていければ、世間を生きていくのに困ることはない。特にワン・エックスの生業(なりわい)であるデザインやソフトウェア開発はその最たる仕事で、デザイナーもエンジニアも学歴や資格が必須条件ではない。実力さえあれば、よその会社でいくらでも通用する。継続的な努力が必要だし、時間もかかる。センス(およびセンスを磨く努力)も必要なので、いうほど簡単なことではないかもしれないが、自分次第という職種なのは間違いない。
とはいうものの、俺自身はデザイナーでもエンジニアでもない。にもかかわらずとりあえず生きていくだけの仕事には恵まれてきた。つまり、手に職をつけるばかりが商品価値を高める手段ではないわけだ。
持たざる者だった俺は持たざるが故に真剣に自分の商品価値を考える機会に恵まれた。だが、自分という商品の価値は誰にとっても等しく大切な問題のはずだ。うちのスタッフにはワン・エックスを離れても生きて行けるだけの商品力を持ってもらいたいし、そのための協力をしていきたい。逆説的にそれがワン・エックスのためになると思う。